|
●斎藤江美子さん
待ちに待ったドナー決定通知、私にとっていろんな意味で確認する場面に遭遇、まさに「未知との遭遇」でした。知らせが届いた時、よく宝くじに当たったようだと聞いていましたが、私の場合、あの感動はとにかくうれしくて、遠い昔ですが、大好きな彼からのラブレターが届き、封を開ける胸の高鳴りに似ていて、忘れかけていた、実に懐かしい思いでした。
これがひとつめの遭遇、次は最終同意で説明を受けている時。「何か質問は」と聞かれた主人は「あの……うちの家内はお酒が好きなので、麻酔が効かないということはありませんかね……多めにした方が……」もちろん調整医師の先生は「大丈夫ですよ、麻酔は心配ありませんから」
それを聞いた私以外の方は、妻の体を心配しているやさしい夫だと思ったかもしれません。ちょっぴり複雑な気持ちで同意書にサインする時、またも主人は、何と私に対する続柄の所に「夫」ではなく「妻」と書きました。しかも迷わずしっかりとです。それを見た全員が妙に納得していました。
確かに、私は骨髄バンクの活動で家を留守にすることが多く、彼が主婦業を代わってやってくれています。きっと自然な成り行きで、「でも、ちょっと俺もがんばってるんだよ!」と何かを伝える手段なのだと、あまり深くは追求しないほうが、今後のためにも良いと考えることにしました。お陰さまで、現在も生活パターンは維持されています。
最終同意後、あるテレビ局が私の骨髄提供を密着取材し、ニュースの特番で放送していただけることになりました。そんなこんなで提供前日に入院、いよいよ明日だなあと思いながら、消灯時間、今、同じこの時間を過ごしている患者さんのことを考えました。HLAを共有しているということは、昔々、兄弟姉妹……えっーすごい、時を越えて出会うんだと思うと不思議な感覚、頭の中にたくさんのことが駆け巡り、なかなか眠れませんでした。
そして当日、手術室へ、そこでついわがままがでてしまい、流れていたクラシックの音楽でなく、私の好きな竹内まりやの「告白」が聞きたくなりお願いしました。看護師さんが走って行く姿が見え、「これが麻酔ですよ・・・」と言う言葉を聞いた瞬間……そう……ドローッと消えました。当然「告白」は聞けませんでしたが、本当に流してくださったそうです。
無事、骨髄採取が終了し、部屋に戻り「夕食だよ、食べるかい」と主人の声で目が覚めた気がしました。付き添ってくれていた友人たちから後で聞くと、部屋に戻ってきてとにかくひとりベラベラと喋りまくっていたらしいのですが、麻酔の影響?……私は憶えていません。
3泊4日で退院、無事に骨髄を渡すことができました。提供に至る期間、患者さん側とドナー側とで、目には見えないバトンを手に、チームワークでリレーし、それぞれの立場で生命を見つめ、見守ってくれていたこと、歩み寄るって大切なことを、今回の提供で新ためて学びました。そして、そのチームの一員となって貴重な体験をさせていただき「もう一人の私」にバトンを渡せたことに心から感謝しています。
追伸 密着取材の中で病院側の協力をいただき進行中、採取様子の取材に急にストップがかかりました。医療現場を身近に伝えることができるいい機会だったのに残念でした。それと、放送された映像の中で、ガーゼ交換のため腰の部分が映ったはずなのに、「あれってお腹から取るの?」とマジ顔で質問され、ショック!くれぐれも念を押します。骨を削るのでも、お腹からでもありません。腰の骨(腸骨)からです。私にとっての「未知との遭遇」はパート2があるかもしれません。
(福島市在住) |